病院長挨拶

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盤根錯節
〜熊本総合病院だより 『ぱとす』 2015年 秋号 病院長挨拶より〜
 

わたくし共は、医師会、熊本大学教授陣、国・県・市行政ならびに市民の皆さま方のご支援のお陰をもちまして、JCHOの使命である「地域医療のみならず地域包括ケアの推進」に向かって大いに公に貢献するように努力いたしております。そして、このことを深く感謝申し上げながら、さらに日々、質の高い医療を実践してまいります。

 

さて、最近の日本の医療では、「医療・年金・介護の社会保障費の膨張」の対策として、病床機能分化に託つけた病床削減や在宅医療が花盛りです。先日発表された第二次アベノミクスでは、強い経済・子育て支援・安心につながる社会保障を唱っていますが、前回小欄で申し上げたように、医療は患者さん本位であり、在宅医療においても「悲劇的な老老介護」や「家族崩壊」にならないように、賢明な社会保障の充実が望まれます。また、医療以外におきましても、「集団的自衛権」を含む国防法案に関する空疎な喧騒、「領土問題」や「拉致問題」に加えて、この期に及んでもまだまだ燻る「慰安婦問題」など、社会保障、政治、経済、外交、教育、マスコミ操作が無駄かつ奇々怪々に絡まった縄・糸・鉤素のようで、日本の楽しい将来に向かおうとしても先に進めない閉塞感が募ります。

 

ところで、「盤根錯節」という言葉があることを最近知りました。「盤根」とは曲がりくねった木の根、「錯節」とは入り込んだ木の節で、結局、「物事が複雑に入り組んでいるため解決ができない困難」だそうです。そして、個人的にはその「複雑に」の頭に前述の「無駄かつ奇々怪々に」を付け加えたいところです。

 

「盤根錯節」と聞いて最初に思い当たるのは、何といっても「明治維新」でしょう。帝国主義列強の日本植民地政策の脅威に対して、日本国内はというと、260年も脈々と続いた江戸幕府と各藩の封建制、朝廷、諸外国人、佐幕の新選組、様々な志士と民衆が有象無象、正に「盤根錯節」の最たるものです。その解決し難い状況から日本を救ったものは、何とも凄い「日本を守る維新の志士たち」でした。その多くは、名声、官位、お金そして命を投げ打って国家の大業をアジアで唯一成し遂げました。

実は、その盤根錯節の後には、「利器を知る」という言葉が続き、「盤根錯節に遭いて、利器を知る」というセンテンスとなるそうですが、「利器」とは正にその志士たちで、「とんでもない困難にぶつかった時であったからこそ、その真の日本人たちの価値が発揮されました」。そして、それから40年は夢のある日本近代化に進みましたが、更なる40年は反省の余地が十分に残る日本近代史となりました。

 

残念ながら、戦後生まれの私は日本近代史を全くと言っていい程、知りません。30代にワシントンDCにいた時、ナショナル空港(現レーガン空港)に向かっていると見えてくる海兵隊記念碑は当時米国の日本に対する戦意を高揚させたことで有名な「硫黄島の星条旗」ですが、それが一体何の碑であるのか、あまつさえそれがヤラセの碑であるなんて知りませんでしたし、学会で行った真珠湾でもただ卑屈に観光するばかりですが、アメリカでの友人の医師でも医学研究者でも、お隣に住んでいたデイビットでも、ちゃんと近代史を学び勉強していて、日本人の私にチャレンジしてきますが、こちらは歴史痴呆ですから意見も言えません。アメリカでは反対でも堂々と意見を言わない人間は社会から抹殺されそうになりますので、その悔しさといったらありません。若しその時、日本近代史を勉強していれば、当時の世界的視点から日本の状況を説明し、多くのアメリカ人と堂々のディスカッションができ、時間はかかっても困難を乗り越えてお互いの立場を分かり合い、もっと親密になっていたのではないか、と残念でなりません。

 

この頃やっと大いに反省し、アメリカの医師でも医学研究者でもお隣のおじさんでもちゃんと知っていた歴史を、学ぶことができなかった日本近代史を、暇を見つけて少しずつ勉強しています。そして特に、このところよく言われているように、①ロシアをはじめとする列強の脅威に対する自衛戦争とその後の歩みは適切だったのか、②大東亜戦争はなぜ開戦しなければならなかったのか、③戦時中、終戦直後、戦後の混乱期でもその時こそやらなければならなかったのに(無知で?)出来なかったことについて勉強し、学んだ歴史を自分なりに反芻・反省し、後世に反映することができれば幸いと思います。この前、堺屋太一さんが「これからの日本は楽しい国を目指さなければならない。そのためには、いい子ちゃんはやめて、みんなが歴史を知り、チャレンジングな国にしなければならない。」と言っていました。全くその通りと思います。

 

わたくし共の熊本総合病院は、より良い医療を実践するためにも社会情勢を正しく認識しながら医療の歴史に加えて日本の近代史を知り、自分たちの糧として「医療と共に、公に一肌脱ぎ」、JCHOの一員として地方に貢献できるように、さらに精進して参ります。今後とも、皆さま方のさらなるご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。

 

平成27年10月

 

2015.10

盤根錯節

〜熊本総合病院だより 『ぱとす』 2015年 秋号 病院長挨拶より〜

 

2015.7

地方を姥捨て山にしない

〜熊本総合病院だより 『ぱとす』 2015年 夏号 病院長挨拶より〜

 

2015.4

迷い込んで

〜熊本総合病院だより 『ぱとす』 2015年 春号 病院長挨拶より〜

 

2015.1

戦後70周年を迎えて~新生日本を子供たちへの贈り物に~

〜熊本総合病院だより 『ぱとす』 2015年 新年度号 病院長挨拶より〜